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福岡地方裁判所飯塚支部 昭和58年(ワ)20号 判決

原告

藤本富栄

右訴訟代理人弁護士

徳本サダ子

被告

大田弘

(ほか七名)

右八名訴訟代理人弁護士

水崎嘉人

被告

株式会社大和銀行

右代表者代表取締役

湊良隆

右訴訟代理人弁護士

牛場国雄

平岩新吾

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、各自金四〇〇〇万円及びこれに対する昭和五四年八月一七日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告は昭和四六年二月一日被告会社に雇用期間一年の嘱託として採用され、毎年期間を更新されながら、同会社の直方寮寮母として勤務していたが、昭和五四年一一月一二日以降欠勤し、昭和五七年三月五日以降休職中のものである。

(二) 被告大田、同小川、同西嶋、同熊倉、同西、同岡居、同荒川ら七名は、被告会社の従業員であり、昭和五四年八月一六日当時前記直方寮に居住していた寮員であったもの(以下、右七名を「被告寮員七名」ともいう。)、なかでも被告荒川は、寮長であったもの、被告坂本は、当時被告会社直方支店長であり、右寮の舎監を兼務していたもの、被告会社は、右寮を所有、管理し、被告寮員七名を右寮に居住させていたものである。

2  本件災害について

(一) 被告会社の直方寮は、福岡県直方市大字山部字側筒谷六二〇番六、同番七にある軽量鉄骨造亜鉛メッキ銅板葺二階建家屋であり、一階に食堂、炊事場、浴室及び原告使用の部屋などがあり、二階には寮員の部屋五室と客室などがあった。

(二) 昭和五四年八月一六日、被告寮員七名は、害虫駆除のため各自室のほか二階客室に一斉にバルサンPジェット(以下「バルサン」という。)を点火(右客室には大型を使用)して寮を出たが、被告西嶋は、その間際、原告にバルサン三個を渡し、原告使用の部屋を含む一階三室にそれを点火するよう依頼した。しかし原告が使用方法がわからないと答えたので、同被告が一階のうち二室に点火して原告に使用方法を教え、二・三時間外へ出ておくようにと言って出勤した。

(三) 原告は、被告寮員七名や舎監である被告坂本から、その日バルサンを使用することにつき事前に連絡を受けておらず、また、バルサン使用中や使用後の注意についても前記のように単に二・三時間家を出るよう言われただけであった。原告は、何も準備をしていなかったので被告西嶋に対し「前もって何故言わないか」と文句を言ったが、とにかく急いで食堂の食べ物を片付け、食器や食料品、衣類などに新聞紙をかけるなどしたうえ、外出のための衣服や食物を用意して支度をした。しかし、その間にも他の室の扉の隙間からバルサンの白煙がどんどん漏れ出していた。原告は、最後に自室にバルサンを点火して外出した。

(四) その後、原告は、夕食の準備にかかるため、三時間以上経過した午後二時二〇分ころ寮内に戻ったところ、既にバルサンの煙はなかったが、部屋中バルサンのガスが充満し、息苦しかった。そこで原告は、一階の窓や二階の客室の窓を開けたが、その際、顔面に氷でさされたような冷たい感じを受けたので温水で洗顔した。それから夕食の準備をし、寮員の夕食後はその跡片づけ、朝食の準備、炊事場の床拭き、風呂の用意など寮母としての仕事を終えて就寝した。

(五) ところが、翌一七日になると、顔全体が腫れ上がって痒く、眼球が赤くなり、「めやに」が多く出た。驚いた原告は、寮員の朝食後、同市の山名眼科医院に行ったが、同医院が休診であり、他の医院も殆んど盆休み中であった。そこでやむなく同県飯塚市の林内科医院で応急の治療を受けた。原告は同月の一八日(土)夜から一九日(日)にかけて同市内の実家に帰ったが、そこで魚を食べたところ、顔面がさらにひどく腫れ、痒く、目が一段と赤くなったため、二〇日(月)に再び林医院で診察してもらったほか、同市内の西園皮膚科医院(以下「西園医院」という。)で受診したところ、バルサンの煙に晒されたための傷病で、バルサン皮膚炎(顔面)であるとの診断を受けた。

(六) その後、日増しに顔色が紫色に変わり、魚や卵などの動物性の食品を食べると顔面が発赤し、腫れが一段とひどく、また痒くなり、眼球は兎の目のようにあかくなって疼いた。そのため、原告は動物性食品をとらないようにし、同年一〇月中旬の約一週間にわたる休暇中は西園医師からもらった薬剤を服用し、昼夜寝て過ごしたが、それでも同月下旬になると顔面がひどく腫れ上がってほてり、前にもまして痒く、顔色も紫から黒色へと変化し始め、目が痛みかすんで見えるようになり、症状が一段と悪化した。この状態は日一日とひどくなり、顔は墨を塗ったように黒くなった。そのため原告は昭和五四年一一月一二日以降被告会社の勤務を休み、九大病院その他で受診した。また西園医院には初診以来通院しているが、現在もなお原告は顔面の黒色が完治せず、動物性食品をとると顔面の発赤痒や眼球の充血が表われ、治療をやめると増悪する状態である。

3  被告らの責任

(一) 被告寮員七名の責任

被告寮員七名がバルサンを点火し、原告がその煙に触れた経過は請求原因2(二)、(三)に記載のとおりである。

そこで、被告寮員七名は、バルサンという人体に有害な影響を与えるものを寮の一、二階全部の部屋に点火使用するに際しては、逃げ遅れて煙に晒されたりする者が出ないよう事前にバルサンの使用及び使用前後、使用中の注意を充分に了解させ、事前の諸準備を行う時間的余裕を与え、全員の準備が整ったうえで安全を確認して一斉に点火使用するなど、被害の発生を未然に防止すべきであるのにこれを怠り、原告に対して事前の連絡もせず、使用前後、使用中の注意も与えないまま、当日朝二階の全室にバルサンを一斉に点火した後被告西嶋が一階に降りてきて原告にバルサンを三個渡し、一階の三部屋には原告が点火するよう言ったが、原告から使用方法を知らないと言われるや、二部屋については同被告が点火して原告に使用方法を教えたものの、残りの一部屋については原告自らにおいて点火し、点火後は二・三時間外へ出ておくようになどと言っただけで外出したため、原告は急いで食べ物などを片付けて点火の準備をしたが、その間二〇分以上一、二階の殆んどの部屋でバルサンが点火されている寮内に留まっていたため、バルサンによる皮膚炎等に罹患した。したがって、被告寮員七名は、原告に対し、民法七一九条に基づく共同不法行為責任を負うべきである。

(二) 被告坂本の責任

被告寮員七名は、昭和五四年八月寮内の害虫を駆除するためバルサンを使用しようとして、事前に被告坂本にその購入と使用を申出てその許可を受け、その後、当時直方寮の会計係であった被告西嶋が代金を立替払いしてバルサンを購入した。被告坂本は、直方支店長兼直方寮の舎監で、被告寮員七名および寮母である原告らを被告会社に代わって監督するとともに、右被用者らの安全と健康を確保するため、安全、衛生および寮内の清潔維持につき、必要な措置をとることを被告会社より委ねられていたものであるから、被告寮員七名がバルサンを使用するについては、これを事前に寮母である原告に自ら、または寮員らをして知らせ、原告が被害を被らないようにすべきであるのにこれを怠り、事前にバルサンの使用を知らなかった原告にバルサンの煙による皮膚炎等を被らせた。したがって、被告坂本は、被告寮員七名とともに民法七一九条に基づく共同不法行為責任を負担すべきであり、また、同法七一五条二項に基づく代理監督者の責任を負わなければならない。

(三) 被告会社の責任

(1) 不法行為責任

被告会社はその事業を運営するため、寮を設置し、その被用者を寄宿させているが、寮内における被用者の安全と健康を確保し、快適な環境を形成するため、安全や衛生、寮内の清潔維持につき、必要な措置を講ずべき義務を負担しているものであるが、本件におけるバルサンの使用は、寮内の害虫駆除のためであるから、被告会社のとるべき必要な措置にあたり、その事業の範囲内にあるものである。

そこで、被告会社は、被告寮員七名が事業の執行につき原告に与えた損害につき、民法七〇九条、又は七一五条一項に基づく責任があるばかりか、被告会社に代わり被告寮員七名を監督すべき立場にある被告坂本の監督上の過失につき右法条に基づく責任がある。

(2) 債務不履行責任

被告会社は雇用者として、直方寮内における被用者の安全と健康を確保し、快適な環境を形成するため、安全・衛生・清潔維持につき必要な措置を講ずべき義務を負担しており、被告坂本は直方寮の舎監(被告会社の履行補助者)として、寮員や寮母らを被告会社に代って監督し、右安全配慮義務に基く必要な措置を被告会社より委ねられていた。また、被告寮員七名は、事前にバルサンによる害虫駆除につき、舎監である被告坂本の了承を得て、被告西嶋において代金を立替え、バルサンを大量に購入したものであるから、被告会社の履行補助者であり、仮に、バルサンの購入等寮内の害虫駆除を寮員に任せ、被告会社や舎監である被告坂本は何もしなかったとしても、被告寮員七名は、もともと被告会社が行うべき寮内の害虫駆除を代わって行ったにすぎないからいずれにせよ被告会社の履行補助者であるというべきである。したがって被告会社は、履行補助者である被告坂本及び被告寮員七名の前記過失により、原告が本件災害を被ったことにつき、安全配慮義務違反による債務不履行責任を負担すべきである。

(3) 雇用契約上の責任

原告は、本件災害が業務上被ったものであるから、昭和五五年一月一〇日直方労働基準監督署に労働者災害補償保険法に基づく保険給付の申請をし、同年八月二二日右監督署長から業務上災害と認定され、治療費等の給付を受けた。

被告会社には就業規則に基づく業務上災害補償規定があり、これによれば業務上の災害による疾病の場合は三年間の欠勤と、引続き療養のため欠勤する場合は五年間の休職が認められ、右欠勤・休職期間中の給与・賞与・昇給は働いている場合と同じ取扱いを受けることになっている。しかるに、被告会社の原告に対する扱いは右補償規定に反するものである。そこで、被告会社は、右補償規定に基づき後記のとおりの責任を負わなければならない。

4  原告が被った損害等

(一) 治療費 金一三一万四〇二五円

原告は本件災害による疾病のため、その翌日である昭和五四年八月一七日以降、林医院、西園医院、九大附属病院、産業医科大学病院などに受診し、現在に至るも治療中で、右治療は終生継続しない限り、症状が増悪するものである。

ところで、原告は昭和五六年六月三〇日迄は労災保険により、西園医院の療養費の支給を受けていたが、その後は症状固定とされ、「急性症状が消退し、慢性症状は持続していても、その症状が安定し、療養を継続しても医療効果を期待することができない状態」との認定のもとに給付を打ち切られた。そして雇主である被告会社からは、原告が業務上の災害による疾病と主張する限り、健康保険の給付は受けられないとして保険給付を拒否された。しかし、原告の症状は治療を継続しない限り悪化するため原告はやむなく、乏しい蓄えの中から自費で治療を継続してきたが、昭和六三年一月一六日国民健康保険に加入し、同年六月以降右保険給付を受けることができるようになった。そこで、右保険給付を受けるまでの間に原告が自費で支出した治療費は次のとおり合計一三一万四〇二五円となる。

〈1〉 西園医院への支払分

昭和五六年七月から昭和五八年七月まで

合計五二万七九〇〇円

昭和五八年八月から昭和六三年五月末日まで

合計七七万八二五〇円

〈2〉 九州大学附属病院、産業医科大学附属病院への支払分(領収書のあるもののみ)

七八七五円

(二) 未払給与等 金二八六九万三三七四円

(1) 原告は、本件災害時である昭和五四年当時、被告会社から金一一万一七〇〇円の給与などのほか、金一万九二二二円相当の食事、および毎年六月と一二月にはあわせて金五三万八〇〇〇円の賞与の支給を受けていた。又、給与のうち、嘱託手当については、毎年六月に金三〇〇〇円あて昇給していたし、賞与についても、昭和五六年一二月には金二七万円を受け、年額金五四万円となった。その他、電気、ガスなどの光熱費、水道代、衛生費などについても被告会社が負担していた。しかし、原告は、本件災害による疾病のため、寮母としての勤務が出来なくなり、昭和五四年一一月一二日から欠勤し、実家に帰って療養中であり、同日以降はもともと被告会社が負担すべきである食費、光熱費、水道代、汲取代などの生活費を全部原告が負担している。そして、その総額は別表記載のとおり、同年一二月から昭和六一年一二月末日迄で、合計金三〇八万〇二〇一円である。

(2) 原告は、本件業務上の災害により、三年間の欠勤と療養のためにする五年間の休職が認められ、欠勤・休職期間中は給与・賞与・昇給が働いている場合と同じ取扱いを受けるべきであるところ、被告会社から合理的根拠もなく私病による休職扱いを受け、昭和五五年六月からは毎年の昇給分三〇〇〇円を一〇〇〇円に減額されたほか、別表記載のとおり、給与や賞与なども一部又は全部の支給を受けず、昭和五八年四月以降は全く支給を受けなくなった。

そこで、原告が本来支給を受けるべき給与・賞与などから受領分を差し引くと、未払給与などは昭和六一年一二月末日まで、別表記載のとおり(マイナスで表している)、合計金九二六万一〇〇〇円となる。

(3) 被告会社における定年は六〇歳であり、原告(昭和三年一月一六日生)は昭和六三年一月一六日まで勤務できるとともに、その後も六七歳までは稼動できるので、すくなくとも現在程度の収益(昭和六一年分の給与や生活費など別表〈1〉~〈8〉を合計すると、金二四八万一八八九円となる)をあげえたものであるが、本件災害による疾病のため、稼動することができなくなった。それ故、昭和六三年一月から六七歳に達する平成七年一月までの八年余の休業損害は、中間利息を控除して金一六三五万二一七三円を超えるものである。

(三) 慰謝料 八〇〇万円

原告は本件災害のため前記2の(五)、(六)のような症状を呈し、肉体的精神的に非常な苦痛を被った。原告の症状は動物性食品をとれば悪化するので、終生右食品をとることができないばかりか、右食品をとらなくても治療を中止すれば増悪するので、一生治療を続けなければならない状態である。

したがって、原告の右精神的苦痛を慰藉するには八〇〇万円が相当である。

弁護士費用 四〇〇万円

5  よって、原告は、被告らに対し、次の請求権に基づき四二〇〇万七三九九円のうち四〇〇〇万円とこれに対する昭和五八年八月一七日から支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(一) 被告会社を除くその余の被告ら八名に対しては不法行為(民法七一九条一項、七一五条二項)に基づく損害賠償。

(二) 被告会社に対しては、四〇〇〇万円のうち、九二六万一〇〇〇円について雇用契約に基づく未払給与、賞与として、その余の金員については債務不履行または不法行為(民法七〇九条、七一五条一項)に基づく損害賠償として、仮に給与等請求が認められない場合は給与などを損害として四〇〇〇万円の債務不履行または不法行為に基づく損害賠償。

二  被告会社の本案前の抗弁

1  原告は、本件の第一八回口頭弁論で陳述された昭和六二年一月七日付準備書面において、被告会社に対し、被告会社の業務上災害補償規定に基づく未払給与、賞与として九二六万一〇〇〇円の請求をした。しかし、右請求は、従前の不法行為、債務不履行による損害賠償請求とは請求の基礎に同一性がないから訴の変更が許されないというべきである。仮に請求の基礎に同一性があるとしても、本訴は既に提訴(昭和五八年二月)から昭和六二年一一月一一日の右第一八回口頭弁論期日まで四年余を経過し、結審が間近に迫っているものであるところ、被告会社は、新請求について業務上災害補償規定の解釈、運用状況、原告への適用状況などにつき新たな証拠調を申請せざるをえなくなり、かくては著しく訴訟手続を遅滞させることになる。したがって、民訴法二三二条一項により訴の変更は許されないというべきである。

2  また、原告は、本件審理の当初、被告会社からの釈明に答えて、本訴は不法行為のみを請求原因とするものである旨言明した。しかるに、前叙の時期に至って新たな請求をすることは重大な過失による時機に遅れた攻撃方法の提出であるから民訴法一三九条によりこれを却下すべきである。

三  請求原因に対する認否

(被告寮員七名及び被告坂本の認否)

1(一) 請求原因1(一)の事実のうち、原告が昭和五四年八月一六日当時被告会社直方寮に勤務していたことは認めるが、その余の事実は知らない。

(二) 同1(二)の事実のうち、被告荒川が寮長であったことは否認し、その余の事実は認める。

2(一) 請求原因2(二)の事実は認める。

(二) 同2(二)の事実のうち、被告西嶋が昭和五四年八月一六日害虫駆除のため、直方寮の二階各部屋にバルサンを点火したこと、同被告が原告に点火方法を教えたことは認め、その余の事実は否認する。

(三) 同2(三)の事実のうち、原告が自室にバルサンを点火し外出したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(四) 同2(四)の事実のうち、原告が当日外出先から帰寮後、夕食の準備をし、寮員の夕食後はその跡片づけ、朝食の準備等をして就寝したことは認めるが、その余の事実は知らない。

(五) 同2(五)の事実は知らない。

(六) 同2(六)の事実のうち、原告がその主張の日時ころ被告会社の勤務を欠勤したことは認めるが、その余の事実は知らない。

3 請求原因3(一)ないし(二)の事実は否認し、主張は争う。

4 請求原因4(一)ないし(四)の事実は否認する。

(被告会社の認否及び反論)

1(一) 請求原因1(一)の事実は認める。なお、正確にいえば、原告は寮勤務者(被告会社では寮母という用語を使用していない。)として採用されたものであり、身分は嘱託(採用当時は労務行員待遇、昭和五一年一〇月以降は庶務行員待遇と改称)であった。

(二) 同1(二)の事実のうち、被告荒川が寮長であったとの事実は否認し、その余の事実は認める。

2(一) 請求原因2(一)の事実は認める。

(二) 同2(二)、(三)の事実について

昭和五四年八月一六日寮に居住していた寮員がバルサンに点火したこと、被告西嶋が原告に点火の方法を教え、原告が最後に自室に点火して外出したことは認め、その余の事実は争う。

事実関係は次のとおりであった。

(1) 昭和五四年七月ころ比較的降雨が多かったためか直方寮所在地付近一帯にダニと思われる害虫が多発した。

(2) 直方寮内でも七月半ばころから被害が出はじめ、寮員ら間で駆除について話題が出、原告も被害にあっているところからこの話し合いに参加していた。

(3) 七月末ころ被告大田は個人でバルサンを購入し自室にのみ点火使用した。原告は、この事実を知悉していた。

(4) その後、害虫の被害がひどくなったので再び原告も参加の上被告寮員七名全員が駆除について協議し、バルサンを全寮にわたり使用することを決定した。

(5) 被告西嶋が八月一三日ころ直方支店から帰寮の途中直方市内の薬局で被害と建物の状況などを説明の上バルサン三〇グラム缶八個と六〇グラム缶一個を自費で購入し、帰寮後原告と寮員らに現物をみせ、薬局で教示された使用方法の説明をし、こもごも缶の表書きの注意と缶のなかにあった注意書きを読み八月一六日出勤前に点火することについて原告、寮員らの間で協議決定した。

(6) 昭和五四年八月一六日午前八時過ぎ、寮員は二階の五室に三〇グラム缶を、客室に六〇グラム缶を点火し、その直後被告西嶋は一階で原告に対し三〇グラム缶を手渡したうえその使用方法を再度にわたり現物について教え一階の二室は被告西嶋が点火し、原告が日常寝起きしている一室は、寮員が直方支店に出勤した直後原告自身が点火使用した。

(7) なお、被告西嶋は、原告に対し、バルサンの缶を渡すとき注意書きを再度よく読むように、また、四、五時間程度外に退出するように話し、この間に食事の材料などを買いに外出でもしていたらどうかと助言した。

(8) バルサンの注意書きには、発煙後部屋の外に出ること、煙を吸いこまないように注意することが記載されているが、退出時間についての記載はない。害虫駆除の効果をあげるためには「点火後すぐ白煙が噴出し、約三〇ないし六〇秒間(三〇グラムの場合)・四〇ないし七〇秒間(六〇グラムの場合)続くから部屋の外に出て煙がもれないように絞め切ること」「ゴキブリなど物陰にいる害虫の駆除には二、三時間そのままにしておくこと」が使用方法として記載されており、この二、三時間という時間はそれだけ部屋を絞め切っておかないと害虫に対する薬効がないという意味で記載されている時間である。しかし被告西嶋は原告に対し念のため四、五時間程度外に出ているように話をしたものである。

(三) 同2(四)の事実のうち、当日外出した原告が帰寮し、夕食の準備、跡片づけ、朝食の準備をし、就寝したことは認めるが、その余の事実は知らない。

原告が帰寮して寮内に入った時刻が午後二時二〇分ころであるとすれば、原告は午前八時二〇分ころには外出したのであるから、この間約六時間という時間の経過があったことになる。原告が主張するような三時間以上というような程度の時間ではない。

(四) 同2(五)の事実のうち、原告が八月の一七日林医院で診察を受けたことは認めるが、診断結果は湿疹(顔面)であった。原告が一八日夜から一九日にかけて飯塚市の実家へ帰ったこと、二〇日に西園医院(但し、同病院が皮膚科医院であることは知らない。)で受診したことは認めるが、同医院でバルサン皮膚炎(顔面)であるとの診断を受けたことは否認し、その余の事実は知らない。

西園医院の昭和五四年八月分診療報酬明細書では顔面湿疹兼肝斑という病名になっている。

(五) 同2(六)の事実のうち、原告が昭和五四年一一月一二日以降勤務を休んでいること、九大病院その他で受診したこと、西園医院に初診以来通院していることは認めるが、その余の事実は知らない。

なお、原告は、西園医院において、昭和四九年五月四日から同五四年八月まで顔面湿疹兼肝斑で毎月受診、治療を継続していた。

3(一)(1) 請求原因3(一)の前段についての認否は、請求原因2(二)、(三)についての認否と同じ。同3の後段の事実は否認し、主張は争う。

(2) 被告寮員七名には次のとおり過失がない。

原告が主張する被告寮員七名の過失とは、〈1〉事前にバルサンの使用を原告に告げるべきであったのに告げなかったこと、〈2〉原告にバルサン使用上の注意を充分に了解させるべきであったのにこれを怠ったこと、〈3〉一斉に、多量に点火使用したこと、以上である。

しかしながら、被告西嶋が原告に対しバルサンの使用を事前に告げ、注意書に従った使用上の注意を与えたことは前叙のとおりであるうえ、同被告は、薬局でバルサンを点火する部屋の広さを告げ、これに使用する薬剤の量について説明を受け、薬局で指示されたとおり三〇グラム缶八個と六〇グラム缶一個を購入し、教えられたとおり三〇グラム缶は二階の五室と一階の三室に使用し、六〇グラム缶は二階の客室に使用した。このように被告西嶋は、注意書どおりの使用方法、使用上の注意、使用量に従ったものであるが、バルサンによる人間の被害については当時公知の症例報告は皆無であったから薬学医学の専門知識を持たない寮員らがバルサンの使用に当たって原告に対し注意すべき事項としては前述のとおりの対応で充分であったというべきである。なお「バルサンPジェット三〇及び六〇」は中外製薬株式会社が昭和五三年三月以来発売し(それ以前は「バルサン」として発売していた)その年間販売数量は今日に至るまで毎年四〇〇万本前後の多数を数えているが今日に至るまで人体への薬害報告の事例もなければ経皮疾患上のクレームを受けた経験もなく副作用例も皆無である。

(二)(1) 同3(二)の事実は否認し、主張は争う。

(2) 独身寮の使用に関する寮員らと被告会社との間の法律関係は、私法上の使用貸借契約関係ないしはこれに類似した特別な寮使用に関する無名契約というべきものである。被告会社と寮員らの間のこの契約関係から生ずる法律上の権利義務は両当事者間の約定と補充的に民法の規定により律せられることになるが、被告会社では大和銀行独身寮規定がこの約定に相当する(〈証拠略〉)。これによれば、寮員らは寮費・食費を納入し(一五条)共同生活を営む上から一定の契約上の義務を負い(一〇、一一条)一定の事由に該当したときには寮の明渡の義務も負担する(六条)反面、被告会社は舎監を置いて寮の管理・運営に当たりその指導監督の下に寮勤務者(原告)を置き(三、七、一二条)寮勤務者は母性的精神をもって勤務に服し被告会社は光熱・水道料など規定による一定の経費を負担することになっている。このような私法上の契約関係にあっては寮員らは契約で定められた以上の義務を被告会社に対して負担するいわれはなく(所謂私生活の自由の領域)被告会社もまた契約上の権利・義務の遂行については寮員らに対し契約どおりの責任はあるがそれ以上の責任はない。また、規定一〇条によると寮員は「常に寮室の清潔・整頓に努め保健衛生に留意すること」とあり、これは寮員らの被告会社に対する右私法上の契約関係から生ずる義務である。従って本件バルサンの使用は、寮員らにとっては右契約上の義務を履行するための行為であって被告会社の「事業の執行」とは何らの関係もない行為である。この点寮員らのバルサンの使用が被告会社の事業の執行であるかの如き原告の主張はそもそも主張自体失当である。右規定七条によれば舎監は「寮の衛生、風紀に関すること」を管理する立場にあり、寮勤務者である原告は右規定一四条によって「寮舎附属設備等の清潔・整頓につき細心の注意をすること」が定められている。これは舎監は被告会社の代理者として右契約の当事者である銀行を代理して寮の衛生に関し契約の履行義務として管理する義務があることを定めたものであり、舎監という用語を使用してはいるが、これはあくまでも右私法上の契約関係の当事者として寮員らと銀行間の雇用契約とは全く別個の私法上の寮使用契約上の履行義務を定めたものであって、この舎監の行為自体が直ちに被告会社の業務の執行それ自体となるわけのものではない。これに反し、寮勤務者(原告)の右一四条による注意義務は、右私法上の契約関係の一方の当事者である被告会社の側に立つ使用人である寮勤務者の寮使用契約上の寮員らに対する履行義務をうたうと同時に、これは寮勤務者の業務の執行それ自体に伴う業務上の注意義務を定めたものでもある。

したがって、本件寮員らのバルサン使用は銀行業務の執行には当たらず被告坂本は民法七一五条二項の代理監督者には該当しない。

仮に何らかの理由によって本件バルサンの使用について被告坂本が寮員らの事業の執行についての代理監督者に当たると仮定しても既に述べたとおり寮員らには本件バルサン使用について何らの過失もなかったのであるから被告坂本にも何らの責任が生じない。

(三)(1) 同3(三)(1)の事実のうち、被告会社が事業を運営するため寮を設置して被用者を寄宿させていること、寮内における被用者の安全と健康を確保し、快適な環境を形成するため、安全や衛生、寮内の清潔維持につき、必要な措置を講すべき義務を負担していることは認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。

(2) 前述のとおの寮員らの本件バルサン使用は銀行の被用者としての事業の執行には当たらず雇用契約とは別個の私法上の契約(寮使用に関する特別な契約)の当事者として契約上負担している衛生上の注意義務を履行遵守した契約上の行為にすぎない。

このため、寮員らはバルサンの使用について被告坂本にも被告会社にも何らの相談もしていないし被告西嶋浩が自費でバルサンを購入使用したのである(独身寮でなく、社宅の場合をとってみても害虫の退治にいちいち社宅入居者が銀行に相談したりその了解を求めたり、駆除薬品の費用を銀行に請求したりなどすることがあり得ないことは常識でも判断できることであり、この理は独身寮でも同じである)したがって被告会社が民法七一五条一項の使用者責任を負担する理由は全くない。

仮に何らかの理由によって寮員らの本件バルサン使用が被告会社の事業の執行に当たるとしても、寮員らの本件バルサン使用について何らの過失もなかったことは前述のとおりであるから被告会社に民法七一五条一項の使用者責任が生ずる理由もない。

原告は被告坂本がバルサンの使用を事前に知っていたのであるからこれを原告に対し、自ら又は寮員らをして知らしめる義務があったかの如く主張しているが、前述のとおり被告坂本はこの事実を全く知らなかったのであるから原告の主張は前提を欠き失当というべきである。

(四)(1) 同3(三)(2)の事実のうち、被告会社が雇用者として、直方寮内における被用者の安全と健康を確保し、快適な環境を形成するため、安全、衛生、清潔維持につき必要な措置を講すべき義務を負担していることは認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。

(2) 原告が主張する被告会社の安全配慮義務の具体的内容は、寮内で働いている原告に、予めバルサンの使用を告げ、使用上の注意を充分に了解させ、被害を避けるための諸準備をする時間的余裕を与えるなど安全に配慮し、事故の発生を未然に防止すべきであったということに尽きる。そして、仮に被告会社に右のような義務があるとしても、前叙のとおり、被告寮員七名は、原告に対し、事前にバルサンの使用を告げ、使用上の注意を与えたのであるから、被告会社に安全配慮義務違反はない。

(五) 被告会社の反論

(1) 予見可能性の不存在

バルサンの人体皮膚への暴露が女子顔面黒皮症を発症させるとか、これを誘発、増悪させるとか、バルサンが皮膚障害の増悪ないし修飾因子になるとか、その引金となる可能性があるとかの点について、被告らには、つぎの点から予見可能性がなかった。

(イ) 寮員らはバルサンについて全く薬学、医学上の知識がなく、この知識を欠いていることについても何ら責められるべき理由はないこと

(ロ) バルサンと人体の皮膚障害との間の因果関係について報告された公知の症例がなく世間一般の常識としてバルサンが皮膚障害を発生させる危険性があるというような認識は全くなかったこと

(ハ) 市販の薬品については、社会一般人としてはメーカーの注意書きを信頼し、注意書きどおりの使用量、使用方法、使用上の注意を守れば安全であるという認識をもつのが常識であること

(2) 相当因果関係の不存在

原告には、本件バルサン使用以前から女子顔面黒皮症や食餌性アレルギーの体質的素因ないし基礎疾病が存在していた。このことは次の事実を総合すれば明らかである。

(イ) 原告は、昭和四九年五月四日から本件バルサンに接触したと称する昭和五四年八月一六日まで、西園医院で顔面湿疹兼肝斑という疾病名で毎月、診療、投薬をうけていた。また、本件バルサンに接触後の同年九月から昭和五五年六月までの一〇か月間も同様である。そして、昭和五四年八月までの間に投薬を受けていた薬は、副作用の極めて強い副腎皮質ホルモンを含むビスオクリーム、ロコイド軟膏の他、相当な副作用を有するプレタミン、ヒドラチオンなどが含まれていた。

(ロ) 原告は、昭和五一年七月二二日林医院においても顔面湿疹なる疾病名で治療投薬を受けていた。

(ハ) 原告は、労基署長の疾病治癒認定を理由とする療養補償及び休業補償給付の不支給決定(支給打切り)に対し、労災保険審査官に審査請求をし、また労基署長の障害補償支給決定(一四級の認定)に対しても労災保険審査官に審査請求をしたが、その請求棄却の決定書の中で九州大学附属病院皮膚科旭医師及び産業医科大学の嘉多山医師は、原告に食餌性アレルギー体質が存在することを認めていた。

(ニ) 原告は、昭和五六年一〇月五日付被告会社人事部長宛書翰や労災保険審査請求の中で、動物性蛋白の食物を食べることができないこと、蚊取線香・ナフタリンなどにも近付づけず、塗装工事中の塗料にあっても顔がかゆくなり、百貨店の家庭用品売場でも突然顔がかゆくなるというような一種のアレルギー症状を訴えていた。

(ホ) 原告は、直方支店の宮崎支店長に対し、さばや卵の白身を食べるとじんましんがでる、そのため被告銀行に入行する以前ワクチン療法をうけたことがあるということを述べていた。原告の入行は昭和四六年二月であるから、原告はそれ以前から特異体質でありこれらの点について素因ないし基礎疾病が存在していた。

(ヘ) 労基署は、原告の労災保険支給申請後、西園医師、九州大学附属病院の医師、産業医大病院の医師などからの意見聴取や労基署独自の現地調査を含む種々の調査や原告ら関係者からの聴取り調査など慎重な調査をすすめた結果、全ての調査資料をそろえて九州労災病院健康診断センターの竹下司恭医師に本件についての相当因果関係の有無についての意見書の提出を求めた。そして、同医師の意見書によれば、原告には女子顔面黒皮症の基礎疾病が存在していたと診断している。

(ト) 原告以外に寮員らの中で本件バルサンの使用について異常を訴えた者は皆無であり、中外製薬においては、従来バルサンの薬害についての知見例が全く存在しない。また、原告自身昭和五四年七月下旬にバルサンの煙に相当時間接触したが、何らの異常もなかった。

(チ) 大阪回生病院須貝哲郎鑑定人の鑑定意見によれば、原告がステロイド外用剤を長期に亘り連用し、皮膚が菲薄化して顔面の皮表に付着した物質が経皮吸収されやすい状態にあったため、昭和五四年七月末ころ被告大田が焚いたバルサン煙との接触によって感作が容易に成立し、本件バルサン煙の接触によってアレルギー反応を起こし、原告の顔面症状が発症したと推定している。また、食餌性アレルギーや昭和五五年以降の諸症状はバルサンの煙に接触したことと無関係であるとしている。

(六)(1) 同3(三)(3)の事実のうち、原告が直方労働基準監督署に労災保険の給付申請をし、昭和五五年八月二二日、右監督署長から業務上災害と認定され、治療費等の給付を受けたこと、被告会社には就業規則に基づく業務上災害補償規定があり、これには原告主張のような規定が存在することは認めるがその余の事実は否認する。

被告会社は、次に述べる経緯により、原告に対し業務上災害補償規定を一時的に準用したが、右措置は適法なものであった。

(イ) 原告は昭和五四年一一月一二日以降長期欠勤に入った。直方支店では昭和五四年一〇月上旬支店長が被告坂本から訴外宮崎輝夫に交替となり、新支店長宮崎輝夫が同年一〇月上旬着任後直方寮に入居した。その直後直方寮において新支店長の歓迎会が行われたが、その際、被告寮員らの間から原告の寮勤務員としての勤務態度について従来からの不満が爆発し、宮崎新支店長が原告の勤務態度につき注意したところ、原告は歓迎会の席から自室に退去し、飯塚市の実家に帰ってしまったことがあり、同年一一月七日、宮崎支店長は原告を直方支店に呼出し、その勤務態度について厳重に是正、注意を促した。ところが、原告は、翌八日朝、宮崎支店長の出勤時に、突如同支店長に対しバルサンによる顔面の皮膚炎につき業務上の疾病として労災扱いにしてもらいたいと申し入れた。従来の経過を全く知らない宮崎支店長は、支店で田中副長以下被告寮員らを集めて事情を聴取した結果、同年八月に全員協議の上、バルサンを焚いたことは事実であるが、原告の顔面に異常が生じたというようなことは誰も知らなかったということが判明した。宮崎支店長はバルサン煙による顔面への異常発生というようなことは従前聞いたこともなかったので、直ちに本店人事部へ報告し、原告の労災扱いの申出でに対する対応についての指示を求めた。

(ロ) 本店人事部としては、バルサン煙による皮膚炎など聞いたことがないので、まず第一にバルサン煙と原告の皮膚炎について相当因果関係があると思われるかどうかについて直方労基署の見解を求めること。第二に原告を診断している医師の医学的見解を求めることを直方支店に指示し、かつ本店人事部としても種々独自の調査検討を行うこととした。

(ハ) 直方支店ではこの指示を受け、直ちに同年一一月二九日田中副長が直方労基署をたずね労災担当者に面談し、右の問題について労災保険適用の可否について打診したところ、右担当者の話では、

(ⅰ) バルサンの使用は上からの指示でもなく、使用後六時間もたっており、特異体質かどうかも考慮しなければならず業務上かどうか直ちには判断しかねる。

(ⅱ) 正式な請求は個人で自由にできるが働いているのだから銀行とよく話しあったほうが良いと思う。

というものであった。直方支店は、右調査結果を直ちに本店へ連絡した。

(ニ) 直方支店田中副長は、同年一二月一二日、九州大学病院を訪ね皮膚科医師倉員正俊及び医事相談室(労災係)に面接して調査したところ、いずれも「労災は難しい」という意見であり、その旨を本店へ連絡した。

(ホ) また、右田中副長は、同月一九日西園医院を訪ねて意見を聴取したところ、同医師は「藤本さんから業務上というものだからそれじゃあ労災による治療だと言った」「当院では設備もなく町の医者にすぎないし労災のこともしらないので九大がよかろうと思って行くように言った。」と述べ、バルサンによると診断書に記載したことについて「本人からバルサンを使用した翌日に顔がはれぼったくなり、発疹がでたというものだからまず間違いなかろうということで……」と述べた。この調査結果も本店へ連絡された。

(ヘ) 一方本店人事部では、次のとおり独自の調査を行った。

(ⅰ) 人事部厚生係の松下代理は、直ちにバルサンのメーカーである中外製薬に問い合わせたところ、バルサン煙による人体の顔面への皮膚障害や副作用についてはいまだかつて前例がないとのことであった。

(ⅱ)本店を管轄している大阪中央労基署に前記松下代理が問い合わせたところ「バルサンと労災とは他の人には症状がでないから、一般的には結びつかず納得できない。特異体質によるものと思われる、バルサンとの因果関係は立証が難しい、むしろうすいと考えられる、最終的には医師の意見を尊重せざるをえないだろうが、会社としては業務上と認めがたい旨の意見書をつけるのがよい」という助言を受けた。

(ⅲ) 被告銀行では種々な調査の結果からバルサンと原告の顔面皮膚炎との間の因果関係について疑問を抱き、原告に基礎疾病か素因があるのではないかとの疑いを持ち、健康保険組合保存のレセプトに基づき原告の過去の病歴を調査したところ、原告は昭和四九年五月から毎月継続して「顔面湿疹兼肝斑」により西園医院らで治療、投薬を受けていた事実が判明した。

(ⅳ) 本店人事部としては、以上のような各種調査の結果をふまえ、本店顧問弁護士に本件処理について人事部としては業務上の災害とは認められないと思うが法律家としての意見はどうかたずねたところ、同弁護士の意見も同意見であった。

(ト) 以上の結果を綜合して、被告会社は原告の自称する顔面疾病は私傷病であると判断し、この旨原告に伝え、原告が労災保険の支給申請をするについても事業主証明はできないとこれを拒否し、就業規則に基づき昭和五五年三月一五日付をもって原告に対し本店勤務(病気)の発令を行い、その旨原告に通知し、更に欠勤三か月に及び昭和五五年六月一五日付をもって休職の発令をし原告に通知した。本来であれば就業規則のうち右に述べた本店勤務及び休職に関する事項は原告のような一年契約の嘱託には準用されないことになっているのであるが、この場合原告が既に昭和四六年二月以来永年にわたり被告会社に継続勤務し、一年毎に嘱託契約をくりかえし継続してきたことを考慮し、労働者の労働条件を就業規則よりも有利に扱うことには何ら支障がないので、この本店勤務及び休職に関する就業規則の規定を特別に準用することにしたのである。

(チ) 被告会社が事業主証明を拒否したため原告は、事業主証明のないまま昭和五五年一月一一日直方労基署長に対し労災保険の支給申請をした。労基署は、多くの医師の意見を求めたり原告らから事情聴取したりして調査した結果、昭和五五年六月二四日直方支店長に対し、原告の件については業務上の災害と認定することになった旨の連絡をした。労基署長が原告の件について業務上の疾病と認定し支給決定した根拠は、〈1〉就業場所、就業時間帯からみての判断、〈2〉最終の九州労災病院検診センターの分析結果から既往基礎疾病が認められ、バルサンが誘発剤となり、悪化せしめた、すなわち原告には基礎疾病があったところバルサン煙との接触が誘発剤となって一時的に従来の顔面の皮膚炎が悪化したものと認められるから、その状態がバルサン煙に接触する以前の顔面の疾病状態に戻るまでの間、労災の適用をすることとし、元の状態に戻った場合には労災の適用を打切るという説明であった。これは前述した九州労災病院健康診断センターの竹下司恭医師の最終的な意見書に基づく結論であり、労基署の見解は竹下医師の意見書と全く同一であった。尚労基署は、労基署の見解を尊重してこの間原告の労災保険支給申請についても事業主としての証明印を押印してやってほしいということを懇請した。

(リ) 本店人事部では、原告の顔面疾病は到底業務上のものとは認められないが、直方労基署の要望もあり、労基署の見解を一応尊重することとし、爾後原告の支給申請に対しては事業主証明をすることとし(ただし、証明欄には必ずバルサン煙と疾病との因果関係は不明という趣旨の意見を付記していた)、原告の顔面疾病が元の状態に復するまで被告会社の災害補償規定を一時的に準用することとし、昭和五五年一〇月二〇日付をもって同年三月一五日付の原告に対する本店勤務(病気)の発令を取り消し、この旨文書をもって原告に通知した。

(ヌ) 昭和五六年八月八日、労基署は、原告の顔面疾病について同年六月三〇日をもって治癒したと認定し、同日をもって療養及び休業補償の支給を打ち切る旨原告宛通知し、またこの旨被告会社にも通知があった。そこで本店としては本店人事部の山本及び美見両名を現地に派遣し、美見と原告が西園医師に面接して原告の病状の現状を訪ねたところ、原告は充分に労働可能であるということが分かったため、原告から山本に対し出勤願が提出され、原告は出勤して労働する意思を示した。ところが原告は、その直後再び西園医師の診断によると顔が赤く腫れて目が充血してきたので出勤できないと称し、出勤してこなかった。

(ル) 本店人事部では再び山本を現地に派遣出張させ、産業医大の嘉多山医師に診察させたところ、「ホルマリン・紫外線・殺虫剤などと接触する環境下での勤務は不可であり、また動物性蛋白に対し食餌性アレルギーも示すので労働条件も制約される」旨の診断がなされたため、本店人事部内において原告の取扱いについて慎重に検討したが〈1〉被告銀行は従前から原告の顔面疾病を業務上のものとは考えていなかったこと、〈2〉原告は労基署から治癒認定を受けたが、これはまさに労基署が支給決定をするに当りその理由としていたバルサンにより誘発された一時的増悪部分の治癒があったとするものであり、バルサン煙に接触する以前の顔面疾病の状態に戻ったと判断できること、以上の理由により、労基署の支給打切り措置に伴い、昭和五六年七月一日以降の欠勤については、再び私病扱いとし、業務上災害補償規定の準用をしないこととした。

(ヲ) そこで被告会社は、昭和五六年一二月五日付をもって再び原告に対し私傷病による本店勤務(病気)の発令をし、これを原告に通知し、その後三か月経過に伴い、昭和五七年三月五日付をもって休職の発令をし、これを原告に通知し、昭和五六年七月一日から同年九月四日までは有給休暇扱いとし、給与規定の定めにより同年九月五日から昭和五七年九月四日までの一年間は本俸と手当を全額支給し、同年九月五日から昭和五八年三月四日までの六か月間は半額を支給し、同年三月五日からは無給とする取扱いをした。

(ワ) ところで、被告会社では、労災について法定外の上積み補償を定めた業務上災害補償規定を設けている。これは、「職員が業務上負傷し、もしくは疾病にかかり、又は死亡した場合」に、「その事由が行政官庁より労働者災害補償保険法上の業務上災害であると認定され、これに基づいて銀行が補償決定を行った場合」にその規定の適用を行うものであり、労基署長の業務上災害との認定があれば即この規定上も業務上の災害としてこの規定を適用するというものではない。銀行独自の調査と判断によって、その適用の可否を決定するものである(同規定二条一、二項)。それは、労基署長の判断や認定にも誤まりがないことは期し難く、しかも現在の労災保険法では使用者がこの労基署長の認定が間違っていると思料した場合でもこの給付決定を直接争う手段がなく、しかもこの業務上災害補償規定は公傷病がなおらないまま定年その他の理由により退職した後でも療養のため労働することができない者に対しては退職時の定例給与相当額の八〇%を支給する等というような手厚い補償内容であるため、銀行に補償決定をするかどうか、また補償決定するとしてもその範囲や期間、打切措置などを銀行が独自の調査結果と判断に基づいて行えるようにしたものである(同規定六条)。このため労基署長の認定があっても、銀行が補償決定を行なうに際し必要がある時は銀行指定医の診断書を提出させることとしたり(同規定二条四項)業務上の災害に関する認定や療養の方法、補償金額の決定、その他補償の実施、あるいは出勤の指示について補償受給者又は組合と意見を異にする場合はその要請によって協議することにもしているのである(同規定一八条)。即ち、労基署長の認定=銀行の補償決定の関係ではない。もしこの関係ならばそもそもこのような規定を設ける必要は全くないのである。

4(一) 請求原因4(一)の事実のうち、原告が昭和五六年六月三〇日までは労災保険により療養費の支給を受けていたが、その後は症状固定と認定されて給付を打ちきられたことは認めるが、原告が治療を継続していること、その治療費の額は知らない。その余の事実は否認する。

(二)(1) 同4(二)(1)の事実のうち、原告が被告会社から給与のほか、食事、賞与の支給を受けていたことは認めるが、その金額は否認する。原告が昭和五四年一一月一二日から実家で療養中であること、食費、光熱費等生活費を全部原告が負担していることは知らない。その余の事実は否認する。

食費は原告が寮で食事をとった分だけ日割計算で現物給与として支給していたものであり、毎月定額のものではなかった。また食費は給料支給明細書で「マカナイヒトウ」と記載され、その中には公休日に限り実家へ帰ることを認めていたことによる直方寮と実家との間の交通費(一か月二五〇〇円以内)も含んでいたが、右交通費は、寮での勤務をしない限り支出不要なものである。電気、ガス、水道代及び汲取料は寮勤務者として勤務することによって受ける反射的利益であり現物給与ではない。

(2) 同4(二)(2)の事実のうち、被告会社が原告に対し、給与や賞与の全部又は一部の支給をしなかったことは認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。

被告会社が原告に対して、業務上災害補償規定を適用した経緯及びその適用の仕方は前記請求原因に対する認否3(六)(2)記載のとおりである。

(3) 同4(二)(3)の事実は否認する。

原告は昭和六三年一月一六日をもって定年(満六〇才)となる。一般行員については、満五五才以降の給与は五四才時の給与の六〇ないし七〇%程度の給与となって定期昇給はなくなり、賞与は年三か月程度を目処に全額査定支給することになっている。これは昭和五六年四月からの定年延長に伴う措置である。但し一年契約の嘱託については、満五五才以降の給与について、査定により満五四才時の給与と同額またはそれ以下に切下げを行ない、一般行員の場合と同様に定期昇給はなく、賞与は年三か月程度を目処に全額査定支給している。したがって原告が五五才以後も従前の給与に定期昇給があるものとしてこれを加算して請求し賞与についても年四か月分以上を請求しているのは失当である。

(三) 請求原因4(三)、(四)の事実は否認し、主張は争う。

第三証拠(略)

理由

一  被告会社の本案前の抗弁について

1  被告会社は、原告が本件の第一八回口頭弁論で陳述した昭和六二年一月七日付準備書面における被告会社の業務上災害補償規定に基づく未払給与、賞与の請求は、従前の不法行為、債務不履行による損害賠償請求との間に請求の基礎の同一性を欠如し、そうでないとしても右訴の追加的変更は著しく訴訟を遅滞させる旨主張する。

しかしながら、原告が訴状において、未払給与、賞与等を不法行為による休業損害として主張し、昭和六二年一月八日被告会社の業務上災害補償規定(〈証拠略〉)を証拠として提出していたことは記録上明らかであるから、原告の各請求は、追加的変更の前後において争点が共通であり、証拠資料も概ね従前のものを利用できる関係にあると認められるから、請求の基礎に同一性を有するものというべきであり、また、本件紛争の内容とその審理経過に照らし、原告の右訴えの追加的変更が著しく訴訟を遅滞させる場合ともいえない。

2  次に、被告会社は、原告の訴えの追加的変更は時機に遅れた攻撃方法の提出である旨主張するが、本件紛争の内容とその審理経過に照らすと被告会社の右主張も直ちに肯認することはできない。

3  よって、被告会社の本案前の抗弁はいずれも理由がない。

二  被告らの不法行為責任及び被告会社の安全配慮義務違反について

1  請求原因1、2の事実のうち、当事者間に争いのない事実は次のとおりである。

(原告と被告寮員七名及び被告坂本らとの間に争いのない事実)

(一) 請求原因1(一)の事実のうち、原告が昭和五四年八月一六日当時、被告会社直方寮に勤務していたこと、同1(二)の事実のうち、当時被告寮員七名が被告会社の従業員であり、右寮に居住していた寮員であったこと、被告坂本が被告会社直方支店長であり、右寮の舎監を兼務していたこと、被告会社が右寮を所有、管理し、被告寮員七名を右寮に居住させていたこと。

(二) 請求原因2(一)(直方寮の所在、構造)の事実、同2(二)の事実のうち、被告西嶋が昭和五四年八月一六日害虫駆除のため直方寮の二階各居室にバルサンを点火したこと、同被告が原告に点火方法を教えたこと、同2(三)の事実のうち、原告が自室にバルサンを点火して外出したこと、同2(四)の事実のうち、原告が当日外出先から帰寮後、夕食の準備をし、寮員の夕食後はその跡片づけ、朝食の準備等をして就寝したこと、同2(六)の事実のうち、原告は昭和五四年一〇月中旬に約一週間休暇であ(ママ)り、同年一一月一〇日以降欠勤したこと。

(原告と被告会社との間に争いのない事実)

(一) 請求原因1(一)、(二)(原告、被告らの地位、身分など)の事実

(但し、被告荒川が寮長であったとの点は除く)。

(二) 同2(一)(直方寮の所在、構造)の事実、同2(二)、(三)の事実のうち、寮員が昭和五四年八月一六日バルサンを点火したこと、被告西嶋が原告に点火の方法を教え、原告が最後に自室に点火して外出したこと、同2(四)の事実のうち、当日外出した原告が帰寮し、夕食の準備、跡片づけ、朝食の準備をして就寝したこと、同2(五)の事実のうち、原告が同年八月一七日林医院で診察を受けたこと、同月一八日夜から翌一九日にかけて飯塚市の実家へ帰ったこと、同月二〇日に西園医院で受診したこと、同2(六)の事実のうち、原告が同年一一月一二日以降勤務を休んでいること、九大病院その他で受診したこと、西園医院に初診以来通院していること。

2  右当事者間に争いのない事実に併せ、(証拠略)を総合すれば以下の事実が認められる。

(一)  被告会社は、福岡県直方市大字山部字側筒谷六二〇番六、同番七に軽量鉄骨造亜鉛メッキ銅板葺二階建の直方寮を所有、管理しているもの、原告は、昭和四六年二月一日雇用期間一年の嘱託として採用された右直方寮の勤務者であって、いわゆる寮母として稼働し、毎年雇用契約を更新されていたもの、被告寮員七名は、被告会社の従業員であり、昭和五四年八月一六日当時、右直方寮に居住していたもの、被告荒川は、寮員中最年長者として寮員の世話役をしていたもの、被告坂本は、当時被告会社直方支店長であり、右直方寮の舎監を兼務していたものである。

(二)  昭和五四年夏ころ、直方寮ではダニが発生し、これを駆除するため、同年七月下旬ころ、被告大田がそのころ時々使用していた二階の空部屋に単独でバルサンを焚いた。同被告は、原告や他の寮員に対し、事前にバルサンを焚くことを知らせていなかったため、その日同被告が出勤してから一時間位経過した午前九時ころ、二階に上った原告は、右空部屋の消し忘れた電灯を消し、ドアを開けて中に入ったところ、室内に漂っていた白煙に触れた。事態をよく飲み込めず驚いた原告が被告会社直方支店へ電話で事情を尋ねたところ、被告大田がバルサンを使用したことが分かったため、原告は同室とその真下にある一階の原告居室へは近寄らないようにし、午前一二時ころまで寮の掃除をするなどして過した。なお、午前九時ころ、前記空部屋の前の廊下にバルサンの煙が漏れ出している様子はなかった。

(三)  被告西嶋は、被告大田がバルサンを焚いたことを聞き、そのとき初めてバルサンというものを知ったが、その後他の寮員から、寮内にダニが発生して皮膚がかゆいという苦情を聞き、同年八月上旬ころ、他の寮員と話し合ってバルサンを焚いてダニを駆除することにした。その際、原告にその旨を伝えると原告も皮膚がかゆいと言って被告西嶋らの提案に賛成した。そこで、被告西嶋らは、同月一六日の出勤前の午前八時一〇分ころからバルサンを焚いてダニの駆除を行うことにし、事前に他の寮員に対して、当日は早く朝食を済ませ、部屋を密閉し、バルサンに点火した後は直ちに部屋から出るよう注意しておいた。一方、被告西嶋は、他の寮員とバルサンを使用することを話し合った後、同月九日ころ、通勤途中の薬局でバルサンを九個(バルサンPジェット三〇を八個、バルサンPジェット六〇を一個)自費で購入し、これを寮に持ち帰って一階食堂にある冷蔵庫の上に置いておいた。購入代金は、後に他の寮員らと分担する積りであったが、とりあえず被告西嶋が立替払いをした。右バルサンの種類や数量は、被告西嶋が薬局で寮の部屋数や広さを説明し、指示を受けて購入したものである。また、同被告は、右購入時、薬局でバルサンを使用する際の注意を受けたが、その内容は、バルサンに添付してある注意書と同じ内容のものであった。被告西嶋と被告荒川は、バルサン使用の二、三日前である同月一三、四日ころ原告に対し、同月一六日にバルサンを焚くことを伝え、当日は一階の和室三室には原告自らがバルサンを焚くように告げ、使用上の注意として、部屋を密閉すること、食べ物を片付けたうえで点火すること、点火後は直ちに外へ出て四、五時間は戻らないことを説明し、バルサンに添付されている説明書を渡し、それを読んでおくようにと言った。また、バルサンを焚くときに使用する置き皿を厨房から借り出すことの承諾も求めておいた。同月一六日午前八時前ころ、被告西嶋が寮員ら及び原告にバルサンとその置き皿用の洗面器や厨房から借り出した皿を配るとともに、寮員らに対しては、それぞれ点火させて直ちに部屋から外へ出るように告げ、午前八時一〇分ころ、自ら自室でバルサンに点火し、続いて他の部屋を回り、まだ点火していない部屋については早く点火するよう促したり、あるいは代わって点火したりした後、一階へ下りていったところ、原告はまだ点火していなかった。被告西嶋は、原告からバルサンの点火方法を教えてくれるよう言われたため、一階の和室二部屋については同被告が原告の前で自ら点火してその仕方を見せ、原告の使用していた一部屋については、原告が自ら点火するというので、原告に任せて外出した。被告西嶋は、既に二、三日前に原告に対しバルサンの使用上の注意を告げていたため、当日は詳しい説明を行わず、部屋を密閉して、点火した後は直ちに部屋から出て買物でもして時間を潰すよう言ったにとどまった。原告は被告西嶋が一階の和室二部屋にバルサンを点火した後、寮員用の食堂の食卓上に置いてあった食べ物や食器に新聞紙をかけ、食べ物の残りを冷蔵庫に入れて自室(和室)へ戻り同室に隣接した寮母用のダイニングキッチンにある食べ物や、和室押入れの中の衣類にも新聞紙をかけ、外出着、時計、メイキャップ用品等をダイニングキッチンへおいた後、自室にバルサンを点火し、厨房の冷蔵庫から自己の朝食と昼食を取り出して屋外へ出た。その際、原告は長袖の作業着を着用していた。そのころは被告西嶋が、バルサンを点火したときから二〇分以上経過していた。屋外へ出た原告は、庭の物置付近で時間を潰し、午後二時二〇分過ぎころ寮内へ戻った。寮内は既にバルサンの煙が消失していたが、原告は室内の空気が息苦しく感じられたため、厨房や自室ダイニングキッチンの換気扇を回し、食堂の窓を開け、一階各部屋をうちわで扇いで回った。更に、タオルを水で濡らし、頭と口、鼻を覆って二階の各部屋を回り、窓を開けた。その作業の終わりころに、原告は頬に冷気と虫刺されのような刺激を感じ、その日の夜には、顔に不快感が残り、寝付かれぬ思いをしたところ、翌一七日朝、顔が赤く腫れ、目が充血し、目の奥に痛みを感じた。近所の病院が盆休みで休診していたため、原告は飯塚市まで行き林医院で診察、治療を受けた。林医師の問診に対し、原告はバルサンを焚いている部屋に知らずに入ったのでその煙に触れて顔が腫れた旨答えた。同医師は、原告の症状を「顔面湿疹」と診断し、痒み止めの薬(ロコテレクリーム)、抗ヒスタミン剤(タベジー)抗アレルギー剤(ピトキナー)等を処方し原告に与えた。原告は、同月一八日飯塚市の実家へ帰り、夕食に魚を食べた。すると翌一九日、顔の腫れが増し、目が疼き、目の回りの発疹が大きくなった。そこで同月二〇日、原告は以前から時々治療を受けていた西園医院を訪れ診察を受けた。西園医師は、原告からバルサンを焚いていた部屋に知らずに入ったためその煙に触れた旨を聞き、それが刺激物となって顔が腫れたものと考え「バルサン皮膚炎」と診断し、解毒剤(ヒドラチオン)を一日二錠宛、炎症止めの塗り薬(ロコイド軟膏)を一か月一〇グラム宛それにビタミンCを処方して、原告に与えた。原告はその治療を同年一〇月五日まで続けたが、治療効果が上がっていない様子であったので、同月八日からヒドラチオンを一日三錠宛に増量し、同年一一月三日からロコイド軟膏の投与を止め、蕁麻疹に効く強力ネオミノチンCを注射し、昭和五五年六月まで右注射を継続した。右治療により、原告の症状は同年の一〇月末から一一月初めころには赤みがかった顔の腫れが退き、顔の色はくろく変色した状態になり、顔面の発疹が目立ち始めた。原告は、本件罹災で治療を受け初めたころから、西園医師に対し、魚介類を食べると発疹が出る旨訴えていたため、同医師は、同年一一月三日から原告の症状に「慢性蕁麻疹」という症状名を加えたが、原因が判明しなかったため、さらに九州大学附属病院で診察を受けるよう勧めた。原告は、その後も動物性蛋白質の食品を食べると顔に発疹が出来、目に痛みが生じるような症状があり今日まで継続している。

(四)  原告は、この間、本件のバルサンによる罹災は業務上の災害であるとして、昭和五五年一月一一日直方労働基準監督署長に対して労働者災害補償保険法(以下「労災法」という。)の適用を申請し、同年九月同法に基づく療養、休業補償の支給決定(但し支給は同年八月から)を得たが、昭和五六年八月原告の疾病は症状が固定したとして右支給決定が打ち切られた。しかし、原告はなお症状が残存するとして、右不支給決定の取消や障害補償給付を申請したところ、右取消申請は棄却されたが、昭和五七年一一月二九日右監督署長から障害等級一四級に相当する旨の決定を受けた。原告は、これを不服として争っている。原告は、右不支給決定の取消や障害等級認定に対する不服の各申立の際に、当日は午後二時二〇分ころ寮に戻ってバルサンの煙に触れた旨を申述している。

(五)  原告は、西園医師の勧めもあって昭和五四年一一月ころから九州大学附属病院皮膚科で、昭和五六年一一月ころから産業医科大学附属病院皮膚科でそれぞれ診察、治療をうけたが、いずれの病院でも「女子顔面黒皮症」と診断され、また、産業医科大学附属病院では更に「食餌性アレルギー」との診断を受けた。女子顔面黒皮症というのは、多くは女性の顔面、耳後部及び側頚部に紫褐色ないし灰褐色のびまん性色素沈着を生ずる症状をいい、その原因が未だ十分に解明されていない。

(六)  一方、原告は、本件のバルサンによる罹災以前の昭和四九年五月ころから「顔面湿疹兼肝斑」という症状名で、一か月に四ないし五回の割合で継続して西園病院へ通院し、治療を受けていた。湿疹とは表皮、真皮上層の炎症性変化でつねに痒を伴い非伝染性であって、組織学的に海綿状態という皮膚の表皮に細胞間浮腫、小水泡の形成、びらんをきたし湿潤する痒のはなはだしい症候群のことであり、一種の皮膚炎である。また、肝斑とは三〇才以上の女性に多い、いわゆる「しみ」であるが、その原因は未だ医学上十分に解明されていない。右通院、治療の間、原告は昭和五一年三月ころから昭和五二年五月ころまで一五か月間にビスオクリームAを一一〇グラム、一か月平均約七グラムの割合で毎月処方してもらっていたが、昭和五二年六月から昭和五三年八月までの一五か月間に同クリームを四二五グラム一か月平均約二八グラムと増加し、更に昭和五三年九月から昭和五四年八月まで一二か月間にはより強力なロコイド軟膏を四七〇グラム、一か月平均約三九・二グラムを毎月それぞれ処方してもらっていた。ビスオクリームA、ロコイド軟膏はいずれも副腎皮質ホルモン外用剤であり、これを長期間連用するとステロイド酒、すなわち口囲皮膚炎(口囲ときに顔面全体に紅斑、丘疹、毛細血管拡張、痂皮、鱗屑を生じる。)ステロイド皮膚(皮膚萎縮、毛細血管拡張)等が表れることがある。

(七)  次に、バルサンには使用上の注意書が添付されているが、これには〈1〉ゴキブリなど物陰の害虫を駆除するに際しては、点火後二、三時間そのままにしておくこと、〈2〉飲食物、食器などは部屋の外へ出してから点火し、発煙後は人は部屋の外へ出ること、〈3〉部屋はできるだけ密閉すること、〈4〉煙を吸い込むと有害であるから吸い込まないようにすること、〈5〉使用後は部屋の空気を十分交換してから入ること、〈6〉使用後は降灰により衣服なども汚れるおそれがあるので、おおいをするか部屋の外へ出すこと等の記載がある。ところで、バルサンの製造元の中外製薬株式会社は、昭和五三年から昭和五八年まで約二二四〇万本のバルサンを発売しているが、その間、人体への薬害事例は皆無である。

(八)  被告会社の従業員は、昭和五九年七月二六日直方寮においてバルサンの点火実験を試みた。これによれば、〈1〉一階の原告居室を密閉し、午前八時七分に点火したバルサン(Pジエット三〇)については、間もなく室内全体に白煙が立ちこめ、点火後約二六分を経過したとき煙が部屋全体に拡散し、約五六分経過したころ煙が薄くなり、点火後約三時間五六分経過したころ煙が全く消失し、午後二時二〇分ころには点火前の状態に戻っていた。〈2〉同日午前八時に二階の客室で点火したバルサン(Pジェット六〇)は、点火後約一三分で煙が部屋全体に拡散し、約一時間三三分経過して煙が多少薄くなり、点火後約五時間経過したころ煙が僅かに残っている状態であり、点火後約六時間二〇分経過した午後二時二〇分ころ、煙は完全に消失し点火前の状態に戻っていた。〈3〉同日午前八時二分ころ二階の五号室で点火したバルサン(Pジエット三〇)は、点火後約一一分で煙が部屋に拡散し、約一時間三〇分経過したとき煙が薄くなり、点火後約四時間五九分経過したころ煙は全く消え、点火後約六時間三〇分経過した午後二時二二分ころ、煙は完全に消失し、点火前の状態に戻っていた。右実験をした寮二階の各部屋の扉の下部にはガラリが設けてあるが、一階の各部屋の扉にはこれが設けられていない。右ガラリというのは、扉の下部に通気、通音のために設けられたよろい戸様の隙間であり、このような扉の構造は昭和五四年八月当時から変わっていない。

以上の事実が認められ、原告本人尋問の結果(第一、二回)中、右認定に反する供述部分は直ちに措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

3  当裁判所における鑑定人須貝哲郎の鑑定結果の要旨は次のとおりである。

「原告の症状のうち、食餌性アレルギーといわれる部分を除く症状はバルサンによるアレルギー性接触皮膚炎である。それは、原告は昭和五四年七月下旬に初めてバルサンに接触後、約三週間して二回目の接触をして発症したが、この発症の経過がアレルギー性接触皮膚炎の感作成立までの経過(二週間以上を要する。)に一致するうえ、接触翌日から症状が次第に重くなり顔面の痒性紅斑状浮腫に進んだ点も右皮膚炎の所見に一致し、その後症状の軽快とともに炎症後色素沈着といわれる状態を呈しているからである。右皮膚炎の原因は、原告が副腎皮質ホルモン(ステロイド)外用剤を長期連用したため、皮膚が菲薄化し、外界の刺激に対して防御機能が低下し、顔面の皮表に付着した物質が経皮吸収され易い状態になっていたから、バルサンによる接触感作成立を容易にしたものである。また、原告の食餌アレルギーといわれる症状は、顔面だけに発症するという点で通常の食餌アレルギーとは異なる(通常食餌アレルギーは全身に蕁麻疹反応を生じるか、中毒疹を生ずる。もっとも、アレルギー性接触蕁麻疹の第一段階では接触部位にのみ蕁麻疹反応を生じるが、これが食餌による場合は口唇に蕁麻疹をみる。)うえ、原告はステロイド外用剤を長期連用していたから、その使用中止により顔面が外界刺激に対してきわめて弱くなり、外出して直射日光に当たるだけでも顔面皮疹の増悪をきたす状態にあったと推定され、このような原告の症状とステロイド外用剤の使用状態からみれば、食餌アレルギーといわれる部分がバルサン被暴によることと関係があるか断定できない。なお副腎皮質ホルモン外用剤の副作用については、昭和五四年当時まだ十分に認識されていなかった。」というものである。もっとも、右鑑定人は、原告本人の診断と、診断に必要な臨床検査を欠いているのでいずれも断定的なことはいえない旨述べている。

4  ところで、原告は、被告らに対し、不法行為又は安全配慮義務違反を主張し、被告西嶋ら寮員がバルサンを使用するに際し、事前に点火準備をするための時間的余裕を与え、逃げ遅れたりする者がないよう安全を確認したうえ一斉に点火使用すべきであるのにこれを怠り、原告に使用及び使用前後、使用中の注意を知らせなかったため、原告は急いで点火準備をしようとして、寮内に漏れ出たバルサンの煙に二〇分以上晒され皮膚炎等に罹患したのであるが、これは被告寮員七名の過失及び被告坂本や被告会社の寮員らに対する監督懈怠であり、また被告会社の安全配慮義務違反である旨主張し、原告本人尋問の結果(第一、二回)中には右主張事実に副う供述部分があるが、右供述部分は直ちに措信できず他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

却って、前記認定事実によれば、被告西嶋は、昭和五四年八月上旬ころ、他の寮員と話し合ってバルサンを焚いてダニを駆除することを決め、そのことを原告に伝えたところ、原告もこれに賛成し、また、同月一三、四日ころ被告西嶋と同荒川は、原告に対し同月一六日にバルサンを焚くと伝え、バルサンに添付されている説明書を渡したうえ、当日は一階の和室三室について原告自らがバルサンを点火するように言い、使用上の注意として、部屋を密閉して食べ物を片付けてから点火し、点火後は直ちに外へ出て四、五時間は戻らないようにと告げたのであるから、事前の予告及び使用上の注意としては充分なものであったというべきである。更に、当日の午前八時まえころ、被告西嶋が他の寮員や原告にバルサンを配布し、自ら二階の居室でバルサンを点火した後、他の寮員の部屋を回り、次いで階下へ降りてまだ点火していなかった原告に代わって一階和室の二部屋については自らが点火して原告に点火方法を教え、また残り一部屋に点火するについては、部屋を密閉し、点火後は直ちに外へ出て買物でもして時間を潰すようにと告げ、原告はそれから二〇分余り一階の前記食堂やダイニングキッチン、自室に残り、指示どおりに準備をしたのち、自室に点火して外へでたのであって、直方寮の一、二階にバルサンが点火されるのに、約三〇分余りの時間を要しているのであるが、多量に発売されたバルサンについての薬害例はまったくなかったのであるから、バルサンがさ程有害物ではなく、またそのような認識が一般的であったと推認されることを併せ考えると、右のように三〇分余りをかけてバルサンを順次焚いたことが直ちに被告西嶋ら寮員の過失であったとはいえないものである。

一方、原告は、当日午前八時一〇分過ぎころ、階下に降りてきた被告西嶋に和室二室でバルサンを点火してもらった後、食堂の食卓上に置いてあった食べ物や食器に新聞紙をかけ、食べ物の残りを冷蔵庫へ入れ、ダイニングキッチンの食べ物や、和室押入れの中の衣類に新聞紙をかけるなどし、長袖の作業着を着用して屋外へ退出したあと、午後二時二〇分ころになって寮内へ戻ったのであるから、その間約五ないし六時間経過していること、及び寮内へ戻ってからは直ちに厨房やダイニングキッチンの換気扇を回し、食堂の窓を開け、濡れたタオルで頭、口、鼻を覆って二階各部屋の窓を開けてまわったのであるが、これら原告のバルサン点火後の行動は、前記バルサン添付の注意書に〈1〉飲食物、食器などは部屋の外へ出してから点火すること、〈2〉煙は吸い込まないようにすること、〈3〉使用後は空気を十分交換すること、〈4〉使用後は降灰により衣服なども汚れるおそれがあるのでおおいをすること等と記載されている注意内容によく符合するものであるから、原告は、被告西嶋から事前にバルサン使用上の注意を告げられ、渡されていた注意書を読んで十分にこれを理解していたことが推認されるのである。

なお、原告が昭和五四年八月一六日の午前中にバルサンの煙に触れた形跡は窺われないうえ、原告が同日に寮内で顔に異常を覚えたのは、午後二時二〇分過ぎころ寮内へもどって二階の寮員らの部屋の窓を開けていたときのことであるばかりでなく、原告は、本件罹災直後に、林医院や西園医院で受診した際は、バルサンを焚いている部屋に知らないで入って煙に触れた旨答えていたほか、労災補償不支給決定に対する取消審査の申立等に当たっては、バルサンを焚いた後午後二時二〇分ころ寮に戻って煙に触れた旨申述していたのであるから、原告は、もともと当日の午前中にはバルサンの煙に触れたという認識がなかったものと推認される。更に、当日は前叙のとおり、原告は、二階の各部屋や一階の二部屋でバルサンが点火された後、二〇分ないし三〇分間一階に留まっていたのであるが、その間、原告は、廊下や点火した部屋の前に佇立していたのではなく、点火準備のためバルサンの焚かれていない食堂や厨房、自室を忙しく歩き回っていたのであるから、仮にその間にバルサンの煙に触れたとしても極めて短時間であると考えられること、一階の各部屋の扉には、ガラリがついていないから、扉を閉めて室内で焚いたバルサンの煙が扉の隙間を通って室外へ侵出するとは考え難いこと、被告会社の従業員が行った実験によれば、バルサンは点火後約一三分ないし約三〇分で煙が拡散し、その後は煙が徐々に消失し、点火後約一時間経過したころでは煙が室内に薄く残っている状態であったから、仮に扉の隙間やガラリから煙が漏れ出すものであれば、昭和五四年七月下旬に被告大田が二階の空部屋でバルサンを焚き、点火後約一時間して原告が同部屋の前を通ったときも、同部屋の扉の下部のガラリや扉の隙間からバルサンの煙が漏れ出したり、出てきた煙が廊下に漂っていたりしても然るべきところ、そのときはそのような様子がなかったことなどの点を併せ考えると、原告がバルサンの点火後、二〇分ないし三〇分間、一階に留まっていたとはいえ、その間にバルサンの煙に晒されたとは考え難い。そこで、以上のような本件罹災直後の原告の言動、バルサンの点火後の煙の状態、先の同種事例のときの状況などに照らすと、原告が当日午前八時一〇分過ぎころから八時三〇分過ぎころまでの間に一階でバルサンの煙に晒された旨の原告の供述は措信できない。そして、原告は、当日午後二時二〇分過ぎころ、寮内の二階で寮員らの部屋の窓を開けていたとき顔に異常感を覚えたのであるが、被告会社従業員の行った前記実験によれば、バルサンを点火後約五時間を経過しても煙が僅かに残っている部屋もあったのであるから、原告は、当日点火後約五時間五〇分を経過後にバルサンの煙が僅かに残っていた二階の寮員らの部屋に入り、そのときバルサンの煙に触れたものと推認される。

ところでバルサンに添付されていた注意書には、点火後の室外での待機時間まで記載されていないが、ゴキブリなどの駆除には、点火後二、三時間そのままにしておくこととか、点火後は部屋の外へ出ることとか、煙は吸込まないようにすることなどが記載されており、これら記載を全体としてみれば、点火後の室外での待機時間は二、三時間でよいとの意味に受け取ることもできる。そうすると、原告が当日、点火から約五時間五〇分経過後にバルサンの煙に触れたとしても、バルサンに添付された注意書からよみとられる待機予定時間を既に大きく越えていたのであるから、バルサンの使用に関する事前予告ないし使用上の注意の告知に欠けるものがあったとしても、これを以って直ちに被告寮員七名に過失があったものとはいうことはできない。

5  次に、原告は、昭和五四年八月一七日から顔が赤く腫れ、眼球が充血し、更には動物性蛋白質の食品を食べると顔面の発疹、腫れが増し、眼球が充血し、目が疼く状態であるが、これらの症状はいずれもバルサンの煙に触れたことによるものである(因果関係がある)旨主張する。

前認定のとおり、原告は、同月一六日その顔面にバルサンの煙が触れた(その接触した時刻及び量の点はともかく)ことが認められるところ、前記認定事実及び鑑定の結果によれば、原告は、昭和五四年七月下旬ころ、寮二階の空部屋で被告大田が焚いたバルサンの煙に触れたが、続いて同年八月一六日バルサンの煙に触れた直後から顔が赤く腫れ、目が充血するなどの症状が表れたほか、魚介類などの動物性蛋白質の食品を食べると顔に発疹が出たり、目が疼くなどの症状も表われ、西園医院で治療を受けた結果、同年一〇月末から一一月初めころには顔の腫れが退いてくろく変色した状態になったものの、動物性蛋白質の食品を食べると顔の発疹や目の疼きが生じる症状は依然として残っており、このように二週間余の間に二度バルサンの煙に触れ、二度目の接触直後に顔が赤く腫れ、治療後は顔の腫れが退いてくろく変色したという発症の経過及び症状は、アレルギー性皮膚炎の所見に一致するから、原告は同月一六日バルサンの煙に触れたためアレルギー性皮膚炎に罹患したものと一応推認することができる。

ところで、原告は、前叙のとおり、動物性蛋白質の食品を摂取することによって生じる顔面や目の症状もバルサンの煙に晒されたことによるものである旨主張し、西園医師からの照会回答書(〈証拠略〉)及び原告本人尋問の結果(第一、二回)中には、右主張に副う供述部分及び記載部分もある。しかし、右供述部分は直ちに措信できず、また前記2(三)に認定のとおり、西園医師は、当時、原告が動物性蛋白質の食品を摂取することによって生じる症状については、その原因を知ることができなかったのであるから、右書証(〈証拠略〉)の記載部分も直ちに措信できず、他に原告の右主張事実を認めるに足りる証拠はない。却って、前記認定事実によれば、原告は、昭和四九年ころから一か月に四、五回の割合で西園医院へ通院し、顔面湿疹兼肝斑という症状名で治療を受け続けていたが、この間、昭和五一年三月ころから昭和五四年八月までの間においては、副腎皮質ホルモン外用剤であるビスオクリームAやロコイド軟膏を長期間、多量に処方してもらっていた(原告は、もらったロコイド軟膏等は看護婦から忠告されたため、まとめて捨てた旨供述するが、右供述は直ちに措信できない。)のであるが、前記鑑定の結果は、副腎皮質ホルモン外用剤は、長期連用するとステロイド酒、ステロイド皮膚を生じ、毛細血管拡張、皮膚萎縮、皮膚の外界刺激に対する防御機能低下などを来たすものであり、原告は、右副腎皮質ホルモン外用剤を長期連用していた後、その使用中止により顔面が外界刺激に対して極めて弱くなっていたと推測されるうえ、原告に生じた食餌アレルギーといわれる症状が顔面だけに発症する点で、全身に発症する通常の食餌アレルギーと異なるから、このようなステロイド外用剤の使用状態と原告の症状からみれば、食餌アレルギーといわれる部分がバルサン被暴によるものか断定できないというものである(なお、右鑑定を行った鑑定人は、原告本人の診断や必要な臨床検査を行っていないから断定はできないという)。そして、原告が西園医師に進められ、九州大学附属病院や産業医科大学附属病院で診察を受けた結果によれば、原告の症状は女子顔面黒皮症とか食餌アレルギーであるというものであり、女子顔面黒皮症はその原因が医学上十分に解明されていないので、原告に生じた諸症状がバルサンの煙に触れたこと以外に他の基礎疾病によるものとも推測されるから、右各診断の結果に照らしても、動物性蛋白質食品の摂取によって生じる症状についてバルサン被暴によるものとすることに疑問を呈した前記鑑定の結果の信用性を否定することはできない。

以上のとおり、原告に生じた諸症状のうち、アレルギー性皮膚炎と考えられる症状は、バルサンの煙に触れたことによって生じたものと推認されるけれども、右アレルギー性皮膚炎に対する被告らの予見可能性(相当因果関係)についてはこれを認めるに足りる証拠はなく、却って、前記認定事実及び鑑定の結果によれば、原告に生じたアレルギー性皮膚炎の主たる原因が、原告において副腎皮質ホルモン外用剤を長期連用していたため、皮膚が菲薄化し、顔面の皮表に付着した物質が経皮吸収され易くなっていたことにあると推認される。そして昭和五四年ころには、まだ副腎皮質ホルモン外用剤の副作用についての情報が不足していたこと、原告がバルサンの煙に触れたとはいえ、点火後五時間以上も経過していたのであるから、残存していて原告の顔に触れた煙は僅かのものであったと推認されること(仮に原告が当日午前八時一〇分過ぎてから二〇分余の間にバルサンの煙に触れたのであるとしても、前記4の終りの部分に認定のとおりの状況では、ごく僅かの煙に触れたにとどまるものと推認される。)、バルサンの発売量が二〇〇〇万本を超えるにもかかわらず薬害事例が全くないことから、バルサンはさ程の有害物とはいえないことなどが認められ、これらの点を併せ検討すると、原告は、当時まだその副作用が充分認識されてなかった副腎皮質ホルモン外用剤を長期連用していたため、有害性の乏しいバルサンの煙に僅かに触れただけでアレルギー症状を発症したというべきであるから、右症状は特別事情によるものであり、被告らには、これについて予見可能性がなかったものといわざるをえない。

6  以上によれば、原告の被告らに対する不法行為及び被告会社に対する安全配慮義務違反に基づく各損害賠償請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

三  被告会社に対する雇用契約に基づく未払給料等の請求について

原告は、被告会社の就業規則に基づく業務上災害補償規定により、被告会社の補償の下に三年間の公傷病休暇と五年間の公傷病休職が認められるべきである旨主張して未払給与等の請求をする。

請求原因3(三)(3)の事実のうち、原告が直方労働基準監督署に労災保険の給付申請をし、昭和五五年八月二二日、右監督署長から業務上災害と認定され、治療費等の給付を受けたこと、被告会社には就業規則に基づく業務上災害補償規定があり、これには原告主張のような規定が存在すること、請求原因4(一)の事実のうち、原告が昭和五六年六月三〇日までは労災保険により療養費の支給をうけていたが、その後は症状固定と認定されて給付を打ち切られたこと、請求原因4(二)(1)の事実のうち、原告が被告会社から給与のほか、食事、賞与の支給を受けていたこと、請求原因4(二)(2)の事実のうち、被告会社が原告に対し、給与や賞与の全部又は一部の支給をしなかったこと、以上の事実は当事者間に争いがない。ところで、右当事者間に争いのない事実に併せ、(証拠略)を総合すれば、次の事実が認められる。

原告は、昭和五四年一一月一二日から長期欠勤に入ったが、それに先立って、同月八日、赴任して間もない新支店長宮崎に対しバルサンによる顔面の皮膚炎について業務上の疾病として労災扱いにして欲しい旨を申し入れた。同支店長は、経過を知らなかったため被告寮員らに事情を聴取したところ、同年八月に直方寮でバルサンを焚いたが、原告の顔面に異常が生じたことは誰れも知らなかったということであった。同支店長は、直ちに被告会社本店人事部へ連絡し、その指示を求めた。被告会社では、直方支店に対し、労働基準監督署や原告を診断した医師から意見を求めるよう指示し、自らも独自の調査を行うことにした。そこで、直方支店の田中副長が直方労働基準監督署や九州大学附属病院を訪ねて意見を求めたところ、いずれも労災の適用は難しい旨の見解を示され、また西園医師に面会したところ、同医師は、原告の訴えを信用してバルサンによる皮膚炎であると診断した旨答えた。一方、被告会社本店人事部は、バルサンの製造元である中外製薬に問い合せ、バルサンの煙による顔面への皮膚障害は前例がないとの回答を得たほか、大阪中央労働基準監督署からも、バルサンとの因果関係は立証が難しいであろうとの意見を得た。更に、健康保険組合保存のレセプトを調査した結果、原告が昭和四九年五月から毎月継続して、「顔面湿疹兼肝斑」という症病名により西園医院で治療を受けていたことを知った。このような調査の結果、被告会社は、原告に生じた諸症状が業務に起因するものではなく私病であると考え、就業規則により、昭和五四年一一月一二日から欠勤中の原告を昭和五五年三月一五日本店勤務扱いとし、更に同年六月一五日休職発令を出した。右就業規則には、傷病のため欠勤が引き続き三か月を超えるときは三か月以内の期間で本店勤務を命ずることがあり(四一条、四三条)、職員には都合により休職を命ずることがある(四四条)との定めがある。ところが、同年九月直方労働基準監督署長から原告に対し、労災法に基づく療養及び休業補償の支給決定(同年八月からのもの)がなされた。右支給決定の理由は、バルサンが誘発剤となって原告の基礎疾病を一時的に悪化させたものであると認められるから、原告の状態がバルサン煙に接触した時以前の状態に戻るまで労災法を適用するというものであった。そこで、被告会社は、右支給決定を一応尊重し、昭和五五年一〇月二〇日、先にした原告に対する本店勤務扱い、休職発令を取消し、被告会社の業務上災害補償規定を適用することにし、原告に対し、原告が欠勤し始めた昭和五四年一一月一二日からの給与を支給するようにしたが、右労災の支給決定は、昭和五六年八月、原告の症状が同年六月末で固定したことを理由に打ち切られた。被告会社は、もともと原告の症状を私病であると考えていたが、仮にバルサンの煙に触れたことが顔面の症状を悪化させたものであったとしても、症状固定により右症状の増悪は消失し、動物性蛋白質の食品を食べることによって生ずる異常はバルサンの煙に触れたことと因果関係はないものと判断し、右支給決定の打ち切り以後は私病として扱うことにし、前記業務上災害補償規定に基く給与の支払を昭和五六年六月三〇日までで止めた。なお、右期間中の被告会社による給与の支払状況は別表各該当月欄記載のとおりであるが、右期間中の昇給分は一年毎に月額一〇〇〇円に留まり、また、賞与の一部が支給されなかった。次に、被告会社は、原告に対する人事上の扱いとして、昭和五六年七月一日から同年九月四日まで有給休暇、同年一二月五日から改めて本店勤務扱い、昭和五七年三月五日休職発令との各措置をとった。そして、被告会社の給与規定により、昭和五六年九月五日から昭和五七年九月四日までの一年間は別表各該当月欄記載のとおり、本俸及び手当の全額を支給し、同年九月五日から昭和五八年三月四日までの六か月間は半額を支給し、以後は無給とした。なお、右期間中は、それまでと同様に昇給分は一年毎に月額一〇〇〇円に留まり、また、賞与の一部が支給されなかった。これに関し、前記給与規定には、勤続一〇年以上二〇年未満の者が傷病で欠勤する場合(但し、業務上の傷害による欠勤は除く)、一年間は本俸及び手当の全額、以後六か月間は同半額を支給し、なお引続き欠勤する場合は支給しない旨の規定(五条)がある。

一方、被告会社の業務上災害補償規定は、被告会社の職員が業務上負傷し、もしくは疾病にかかり、または死亡した場合に、行政官庁が業務上災害であると認定し、これに基づいて銀行が補償決定を行った場合に適用されることになっており(二条二項)、右文言から明らかなように行政官庁が業務上災害と認定したことで直ちに銀行(被告会社)が補償決定をなすべきものではなく、右認定に基づき更に銀行において補償決定を行った場合に右補償規定が適用されるというものであって、しかも同規定中に、銀行が補償決定を行うに際し必要あるときは銀行指定医の診断書を提出させることがある(二条四項)とか、銀行は業務上の災害に関する認定や療養の方法、補償金額の決定、その他補償の実施、あるいは出勤の指示について補償受給者または組合と意見を異にする場合その要請により協議する(一八条)などの規定があるため、被告会社は、前記補償規定の適用については、行政官庁の判断に拘束されないうえ、独自に業務上災害であるか否か及び補償期間、金額を決定できるとの見解を有している。以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、被告会社は、昭和五四年一一月一二日から欠勤中の原告に対して、一旦は本店勤務扱い、休職発令などの処置をとりながら、昭和五五年九月直方労働基準監督署長から原告に対して、労災法に基づく療養及び休業補償支給決定が出たため、同年一〇月二〇日、先の本店勤務扱い、休業発令を取消して被告会社の業務上災害補償規定を適用することにし、昭和五四年一一月一二日から右支給決定の打ち切られた昭和五六年六月末日まで、別表各該当月欄に記載のとおりの給与及び寮勤務手当を支給したのであるが、右期間中の昇給分や賞与の一部を支給しなかった。右補償規定によれば業務上疾病にかかった場合、定例給与相当額の休業補償の下に療養のために三年間の公傷病休暇と引続いて療養するために五年間の公傷病休職が認められ、公傷病休暇中は他の職員と同じ賞与、昇給を受けることになっている(七条)から、被告会社が原告に対して昭和五四年一一月一二日から昭和五六年末日までの期間に限り右補償規定を適用し、且つ、その間も昇給分や賞与の一部を支給しなかったことは、右補償規定の一部を適用したに過ぎないことになる。ところで、右業務上災害補償規定には、前記のとおり、同法二条二項の文言や、「銀行が補償決定を行うに際し必要あるときは、銀行指定医の診断書を提出させることがある」とか、「銀行は業務上の災害に関する認定や補償金額の決定、その他補償の実施等について補償受給者または組合と意見を異にする場合その要請により協議する」といった規定が設けられていることに鑑み、行政官庁が業務上災害である旨認定すれば直ちに適用されるものではないばかりか、右認定を参考に被告会社が独自の調査と判断により業務上の災害であると認定したうえ、補償金額等の補償決定を行ったときに適用されるものと考えられるから、その適用及び適用の内容について被告会社に合理的な裁量の余地が与えられているものと認められる。そこで、被告会社が原告に対して前記補償規定を一部についてだけ適用したことが合理的な裁量の範囲にあったか否かを検討するに、〈1〉前記二に認定のとおり、原告が従事していた業務は被告会社直方寮の寮母であり、経験則上薬害を受ける危険性のある業務であるとは考えられないうえ、当日バルサンを使用することは被告寮員七名が自主的に協議して決めたのであり、被告会社側からの指示によるものではなかったこと、原告に生じた諸症状の主たる原因が原告において副腎皮質ホルモン外用剤を長期連用していたことによるものであると推認され、バルサンの煙に触れたことは発症の契機に過ぎなかったと考えられることなどの点を勘案すれば、右症状が業務に起因するものであるとは認め難く、被告会社が独自の調査により同様の認識を抱いたことは首肯できるものであること、〈2〉一方、労基署長が原告に対し、昭和五五年八月から昭和五六年六月まで労災法を適用し療養、休業補償を支給したのであるが、その理由はバルサンが誘発剤となり原告の基礎疾病を一時的に悪化させたものであるから、その増悪した症状が元に戻るまで労災法を適用するというものであり、被告会社は、右見解を一応尊重したにすぎないこと。以上の点を併せ検討すると、被告会社が原告に対し、昭和五四年一一月一二日から昭和五六年六月三〇日までの間、業務上災害補償規定の一部のみを適用したことは合理的な裁量の範囲にあるものということができる。

なお、被告会社は、原告に対して、症状固定を理由とする労災補償の不支給決定があった後は同人の症状を私病として扱い、昭和五六年七月一日から同年九月四日までを有給休暇、同年一二月五日から本店勤務、昭和五七年三月五日休職発令という人事上の扱いをし、昭和五六年九月五日から昭和五七年九月四日までの一年間は別表各該当月欄記載のとおり、本俸及び手当の全額を支給し、昭和五七年九月五日から昭和五八年三月四日までの六か月間は半額を支給し以後は無支給とし、右支給期間中、昇給分の一部や賞与の一部を支給しなかったのであるが、被告会社の就業規則(四一条、四三条、四四条)によれば、傷病のため欠勤が引続き三か月を超えるときは三か月以内の期間で本店勤務を命ずることができ、また都合により休職を命ずることもできるうえ、給与規定(五条)によれば、勤続一〇年以上二〇年未満の者が傷病で欠勤する場合(但し、業務上の傷害による場合を除く)、一年間は本俸及び手当の全額、以後六か月間は同半額を支給し、なお引続き欠勤する場合は支給しないことになっているから、被告会社の原告に対する前記措置は、右就業規則や給与規定に従ったものであり、また右就業規則(三四条)や給与規定(二八条)によれば、昇給や賞与は「各人の能力、技りょう、勤怠、成績その他を参しゃくして支給する」と規定されているのであるから、原告の欠勤状況に照らし、被告会社が原告に対し、本店勤務扱いや休職発令をし、その間、昇給分の一部や賞与の一部を支給しなかったことも直ちに給与規定、就業規則に反するものとはいえない。

また、原告は、寮母として勤務中、食費、電気、ガス、水道、汲取の各費用は被告会社の負担であり、雇用契約の一部であったから、原告が欠勤して実家で生活するうえで要する右各費用は被告会社で支払うべきである旨主張する。そして、前記当事者間に争いのない事実に併せ、(証拠略)によれば、原告は、寮母として勤務中、「マカナイヒトウ」として右各費用の手当を受けていたことが認められるが、右各費用はその性質上、寮母という職務に伴って支給されるものであり、欠勤中の他所での生活費までも被告会社で負担するという性質のものでないことは論を俟たない。

以上の諸点に照らせば、被告会社の業務上災害補償規定は、原告の前記主張の根拠とならず、他に原告の前記主張を認めるに足りる証拠はない。

四  以上によれば、原告の請求はいずれも理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 川﨑貞夫 裁判官 高橋正 裁判官 堀毅彦)

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